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〜「真実」はいつもひとつ〜
かの有名な国民的アニメ作品の一つ「名探偵コナン」の主人公・工藤 新一 こと 江戸川 コナン君の決め台詞でお馴染みのこのフレーズ…♬
無論コナン君の場合は、自慢の推理力を活かして難解な事件を解決していくことが彼の役目であることから、あくまでも"事件の真相はひとつ"といった意味合いが強いわけですが…(笑)
実はコレ、スピリチュアル的に読み解くならば、まるごと僕たちが生きているこの宇宙の真理であると言うことが出来ます(・∀・)
こんな話を聞くと、もしかしたら
「"真実"はひとつなんかじゃない!!何事も捉え方次第じゃないか!!o(`ω´ )o」
とか
「いやいや、"真実"は人の数だけ存在するでしょ(`・ω・´)」
といった反論があるかもしれませんが…
否。
「真実」はどんな時でもひとつしかありませんし、人間の捉え方によって変わるものではありません。
"絶対的に揺るがないモノ"であるからこそ、「真実」なのです。
※但しこの宇宙においてはありとあらゆる様々な「真実」が存在しています("一つの事象に対する「真実」が複数存在している"のではなく、様々な「真実」が同時に存在しているという意味)。
例えば目の前にリンゴがあるとします。
それを
「何事も捉え方次第だ!!私にとって、これは"リンゴ"ではなく"桃"なのだ!!」
などと言っている人がいるとしたら、それは「真実」が複数あるわけではなく、"リンゴ"という「真実」に対して、単にその人が"誤った(もしくは偏った)解釈"をしているだけですよね。
つまりこの話で言えば、"リンゴ"という絶対的な「真実」が存在し、それ以外の捉え方は全て"誤った解釈"であり、もし"リンゴではない"という人がいるのであれば、それは「真実」が複数存在しているのではなく、"その人が「真実」を見抜けていないだけ"なのです。
これは善悪の話ではなく、ただそこに「真実」が存在しており、誰がなんと言おうとその「真実」は揺るがないという意味です。
要するに…
「真実」が人の数だけ存在しているのではなく、いつ如何なる時においても「真実」は常にひとつであり、その代わり"解釈"や"捉え方"が人の数だけ存在しているのです。
※厳密には「真実」を見抜けない人の数だけ"解釈"や"捉え方"が存在する、とも言えます。
ですが僕たち人間は多くの場合、ほぼ無意識に"自分に都合の良い解釈"をしてしまい、「真実」から目を背けようとしてしまう習性があります。
いざ目の前に「真実」が啓示されようとも、"何事も捉え方次第なんだ"と自らが楽な方に捉えようとしてしまうのです。
しかし僕たち人間には"選択をする自由"が与えられてはいるものの、残念ながら"「真実」を変える力"は与えられていません。
にも関わらずそれをやろう(厳密に言えば自己暗示)としてしまうのが、所謂"煩悩"というものであり、僕たち人間が持つ【苦】の根源なのです。
実際問題、僕らに出来ることと言えば、まさに
「真実」をありのままに、正しく解釈する力を養うこと。
別の言い方をすれば、
「答え」を自らの経験と意思の力を持って見出していくこと。
それしかありません。
そして先日も申し上げました通り(▶︎ 参照)、例えその「答え」を他人から聞いたとしても、そこに意義や実用性を持つことは出来ません。
ですがその分、「答え」へと続く"道"は人それぞれ。
それこそ"道"は"人の数だけ"存在しており、そう言った意味で、この世は素晴らしい多様性に溢れています。
"思い通りにいかない"のがこの世の常…
「なんで"答え"なんて決まってるんだよ!! そんなのズルいよ!!ヾ(▼ヘ▼;)」
なんて思ってしまうことも少なくないかもしれませんが…(笑)
何を隠そう、そんな"抵抗"こそが己を苦しめている原因なんだということを理解していくことでしか、真の「幸せ」を学ぶ術は存在しないのです。
だから自ら"正解"を見出していくために…
僕たちは今日もまた、こうして"日々の生活"という"修行"に励むわけであります( ̄∀ ̄)笑
と、いうわけで。
最後は皆さん一緒に…!!
せーの…!!!!
「真実はいつもひとつ!d( ̄  ̄)笑」
ⓒ青山剛昌/小学館・読売テレビ・TMS 1996
★ちなみにこの"修行"を楽めるのか、楽めないのかは僕達の"捉え方次第"です( ´ ▽ ` )ノ♪笑
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