<前回からのつづきです>
守護霊『そう。
そうやって少しずつ少しずつ、"当たり前"という"スコトーマ(=盲点)"を外し、"本質"を捉える力を養っていくのだよ( ̄Д ̄)ノ』
僕「…!!!!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ」
………
……
…
守護霊『さて、以上を踏まえて話を元に戻すとしよう。
つまりお前たちの"命"とは、そのまま神から与えられた"愛しています"というメッセージであり、"愛を学ぶ"という"任務"とも言えるものなのだ( ̄ー ̄)』
僕「そうなんだね。。(=゚ω゚)ノ
でもそっか、よく考えてみれば"本質"的に"死"は存在しないわけだし、僕たちが普段思っているような"命"って無くなったりするものだけれど、そうゆうわけじゃないんだもんね。
それなら"任務"のある間は"こっち=この世"でがんばる、ってのはむしろ"命"の意味としてもちゃんと筋が通っているのか(・∀・)」
守護霊『そうだろう??
それにお前ももうよく解っているように、真の愛や真実は"外側"には存在しない。
"愛の見えない世界"で"愛"を渇望し、あっちこっちと探し回った挙句、結局その"愛"は最初から"ここ"にあった、という話ともきちんと整合性があるってわけだ( ̄Д ̄)ノ』
僕「ほぇ〜〜〜!!ホンマやヽ(;▽;)ノ」
守護霊『"この世"で"当たり前"の裏に隠された"本質"を捉える訓練をし、それを見抜くことが出来た時に、ご褒美として"こっち"にいながらその感覚を少しばかり味わえる時がある。
それがお前たちが"目覚め"とか"悟り"と呼んでいる事象である場合も、なきにしもあらずだ。
いずれにせよそうした感動を覚えるのは"予め知っている感覚"だからなんだよ( ̄Д ̄)ノ
人はそうした"感動"に触れた時、かつてはその感覚に包まれていたことを思い出すのだ。
そして"愛"の尊さを痛感し、そんな経験が大きく魂を磨くことにもなるのだよ( ̄ー ̄)』
僕「なるほどね…!!
つまりやっぱり"命"てのはそれを学ぶための"任務"みたいなもので、だからこそ生きている限り僕たちはその"任務"を全うしなきゃいけないね٩(๑❛ᴗ❛๑)۶」
守護霊『うむ。そしてさっき神が悲しんだ時の話をしたろ…??( ̄ー ̄)』
僕「う、うん…(・∀・)」
守護霊『"命"というのは神からの"愛しています"というメッセージでもあることは何度も述べた通りだが…
ということは必然的に自らその"命"を投げ出す行為…
"自○"はつまり、その"愛"すらも投げ捨ててしまう行為だということがわかるか??( ̄Д ̄)ノ』
僕「….!!!!!°(ಗдಗ。)°.」
(つづく)
★"自○"は与えられた"任務"を投げ出す行為、というだけじゃなく神様からの愛を…( ;∀;)
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