魂遊記〜僕と守護霊の痛快通心活劇〜

僕は孫悟空。守護霊である筋斗雲さんと一緒に日々活々と修行中。七転八起の宇宙旅。天竺めざして今日もゆく。

命.9【番外編 File.36】

※はじめての方は【アラカルト】または【目次】をご覧下さい。

<前回からのつづきです>

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守護霊『そう。

 

そうやって少しずつ少しずつ、"当たり前"という"スコトーマ(=盲点)"を外し、"本質"を捉える力を養っていくのだよ( ̄Д ̄)ノ

 

僕「…!!!!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

………

……

守護霊『さて、以上を踏まえて話を元に戻すとしよう。

 

つまりお前たちの"命"とは、そのまま神から与えられた"愛しています"というメッセージであり、"愛を学ぶ"という"任務"とも言えるものなのだ( ̄ー ̄)』

 

僕「そうなんだね。。(=゚ω゚)ノ

 

でもそっか、よく考えてみれば"本質"的に"死"は存在しないわけだし、僕たちが普段思っているような"命"って無くなったりするものだけれど、そうゆうわけじゃないんだもんね。

 

それなら"任務"のある間は"こっち=この世"でがんばる、ってのはむしろ"命"の意味としてもちゃんと筋が通っているのか(・∀・)」

 

守護霊『そうだろう??

 

それにお前ももうよく解っているように、真の愛や真実は"外側"には存在しない。

 

"愛の見えない世界"で"愛"を渇望し、あっちこっちと探し回った挙句、結局その"愛"は最初から"ここ"にあった、という話ともきちんと整合性があるってわけだ( ̄Д ̄)ノ』

 

僕「ほぇ〜〜〜!!ホンマやヽ(;▽;)ノ

 

守護霊『"この世"で"当たり前"の裏に隠された"本質"を捉える訓練をし、それを見抜くことが出来た時に、ご褒美として"こっち"にいながらその感覚を少しばかり味わえる時がある。

 

それがお前たちが"目覚め"とか"悟り"と呼んでいる事象である場合も、なきにしもあらずだ。

 

いずれにせよそうした感動を覚えるのは"予め知っている感覚"だからなんだよ( ̄Д ̄)ノ

 

人はそうした"感動"に触れた時、かつてはその感覚に包まれていたことを思い出すのだ。

 

そして"愛"の尊さを痛感し、そんな経験が大きく魂を磨くことにもなるのだよ( ̄ー ̄)

 

僕「なるほどね…!!

 

つまりやっぱり"命"てのはそれを学ぶための"任務"みたいなもので、だからこそ生きている限り僕たちはその"任務"を全うしなきゃいけないね٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

 

守護霊『うむ。そしてさっき神が悲しんだ時の話をしたろ…??( ̄ー ̄)

 

僕「う、うん…(・∀・)

 

守護霊『"命"というのは神からの"愛しています"というメッセージでもあることは何度も述べた通りだが…

 

ということは必然的に自らその"命"を投げ出す行為…

 

"自○"はつまり、その"愛"すらも投げ捨ててしまう行為だということがわかるか??( ̄Д ̄)ノ

 

僕「….!!!!!°(ಗдಗ。)°.

 

(つづく) 

 

★"自○"は与えられた"任務"を投げ出す行為、というだけじゃなく神様からの愛を…( ;∀;)

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