<前回からのつづきです>
守護霊『ほう…それじゃあお前は
"世界中の人々に感動してもらう"のと"神様1人に感動してもらう"のだったら、どちらの方が嬉しい??( ̄Д ̄)ノ』
僕「…!!!!???=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)」
………
……
…
僕「そ、それは…( ̄O ̄;)」
守護霊『なぜ私がこんな質問をしたのか解るか??( ̄Д ̄)ノ』
僕「え…!?Σ( ̄。 ̄ノ)ノ」
守護霊『結局いつもの話と同じなのだよ。
大切なのは"表面"や"量"ではなく、その"本質"なのだ( ̄Д ̄)ノ』
僕「ほ、本質…ヽ(;▽;)ノ」
守護霊『うむ( ̄ー ̄)
極端な話だが…
例え世界中の人々から全く評価されなかったとしても、"この世"にて確りと学び、"本質的に"正しい考え方や行いを身に付けられた者は、"あの世"ではバッチリと最大限の評価を受けることが出来る。
逆に例え世界中の人々から称賛されていようとも、"本質的"に誤った考え方や行いをしてしまった者は、"あの世"では全く評価されない。
大切なのは"あの世の評価"。
差し詰めそれは…
"神様の評価""とも言えるものなのだ( ̄Д ̄)ノ』
僕「神様の評価…ヽ(;▽;)ノ」
守護霊『そう。
"あの世"のジャッジメントは極めて"フェア"で正確だと何度も言っているだろう??
それはつまり"神様の基準"で物事が判断されるからなんだよ( ̄ー ̄)』
僕「な、なるほど…!!だから実質的に"神様の評価"に等しいわけだヽ(;▽;)ノ」
守護霊『うむ。
そして言わずもがな、大切なのは"人々の評価"…つまり"この世の評価"ではなく"神様の評価"="本質"の世界である"あの世の評価"なのだ( ̄Д ̄)ノ
究極的に言って、"あの世の評価"が良いものであれば、"この世の評価"がどれだけ低くても全く問題は無い。
まぁこれは単なる例え話で、そんなケースも稀と言っちゃあ稀だが( ̄ー ̄)』
僕「なる…!!少しずづ"あの世の評価"のしくみが解ってきたぞ…(=゚ω゚)ノ」
守護霊『と、言うことはだ。
"この世"で沢山の人間に感動や希望を与えた者が、"本質的に"正しい考え方や行いを行なっている者であればそれは正当に評価されるが、あくまでも評価される部分というのはその"考え方や行い"の部分…つまり"魂磨き"をどれだけ行なったのかという部分なのだよ( ̄Д ̄)ノ』
僕「だからさっき"それはあくまでも大谷選手の魂磨きの話だろ"って言ったんだね!!
う〜ん、だいぶ解っては来たけれど…
やっぱりどうしてもそこが腑に落ちないんだよなぁ( ̄▽ ̄;)
"沢山の人に感動や夢を与えた"とか"沢山の人の役に立つ"のって、どう考えても素晴らしいことで、"あの世の評価"も高くないとおかしいと思ってしまう…w」
守護霊『これだけ解説してもまだ解らないとはな( ̄Д ̄)ノ
仕方がない、今回は徹底的に解らせてやるとするか。
お前が何に引っ掛かっているのかは明白だしな。』
僕「じ、自分的には明白じゃないけど、、( ̄∇ ̄)苦笑」
守護霊『いいか?
"沢山の人に感動や希望を与える人"の素晴らしさとは何ぞや??( ̄ー ̄)』
僕「えっと、その"考え方や行い"??つまり"魂磨き"が素晴らしいってことになるんだよね(・∀・)」
守護霊『そうだろう?そしてその部分が評価されることはもう解ったはずだ( ̄ー ̄)』
僕「勿論そこまでは理解しているよ(=゚ω゚)ノ
でもその先…というか何故"沢山の人に感動や希望を与えた"功績は評価対象じゃないって部分が腑に落ちないんだよ( ̄∇ ̄)
いくら"この世での実績"が"あの世"では関係ないと言っても、"本質的"にも評価を受けるべき部分だと思ってしまうというか…!!」
守護霊『フッ…お前が引っ掛かっている部分を理解するためには、また別の視点からこのテーマについて考える必要があるのだよ。
というわけでここからは…
"感動"や"希望"を"受け取る側"の視点から話をしてみよう( ̄ー ̄)』
僕「…!!!!=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)」
(つづく)
★次回、ようやく"あの世の評価"の"カラクリ"が判明!?
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