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<前回からのつづきです>
「絶望」から這い上がるため、ありとあらゆる試行錯誤を繰り返した2012年も終わりを迎え、2013年となっていました。
人は何のために生まれ、生きていくのか。
「自分」という存在は一体何者なのか。
その「答え」を見出すためには、もはや「悟り(覚醒)」と呼ばれているものを実際に体験してみるしかなかった僕は、年が変わっても尚必死にもがき続けていました。
必要なことは全て行ってきたつもりでした。
それなのに…
一向に悟れない:(;゙゚'ω゚'):笑
以前お話しました通り、この頃にはもう「幸せ」を感じる時間や機会は圧倒的に増えていましたし、特に悩み事もありませんでした。
過去のトラウマも目に見える範囲ではすべて癒し切っていた。
僕自身あと"一歩"のところまで来ていることは自覚していたのです。
とは言え、その最後の"一歩"がめちゃめちゃ難しい。
そもそも「悟り(覚醒)」とは、それを得ようと思えば思うほど遠ざかってしまうものです。
それもそのハズ。
"悟りたい"という思い自体が何よりも強烈な【欲】と成り得てしまうから( ̄∇ ̄)苦笑
当然当時の僕もそんなことは重々解っていたので、
「やるべきことをただ淡々とやり続け、"それ"が起こるのを待つしかない…(・∀・)」
そんな風に意識しながら、"修行"に励む毎日でした。
具体的には「"幸せ"の練習」シリーズでご紹介したワークを様々な形で応用しながら、日々「固定概念」や「言葉」に媚びり付いている「想念」を浄化(=クリアリング)。
※無論これに関しても思いつく限りのことは一通り終えていたのですが、ほんの僅かでも「想念」が残っている可能性があるものを再度ピックアップし、何度でも浄化する…!!という感じでした(*☻-☻*)
そんでもって、あとはひたすら「瞑想」あるのみ( ˘ω˘ )
「瞑想」に関しては
「良いところまではいくんだけど、、Σ('◉⌓◉’)」
ということはそれまで何度もありました。
ですが最後の最後で
「あ、今無我になれそう(*´∇`*)♪」
的な邪心が出てきてしまいあえなく終了w
そんなケースが非常に多かったように思います(笑)
(そしてまたその邪心をワークで浄化する、というのが定番のパターンw)
なにはともあれ…
2013年が明けた頃にはもう、ろくに外出もせずにずっと自宅に引き篭り、ひたすら「浄化ワーク」と「瞑想」を繰り返していました。
それこそご飯やトイレなど、生活していく上で最低限必要になること以外の時間は全て"修行"に費やしていたのです。
そんなある日のこと…
………
……
…
僕は"さらなる覚悟"を持つことを心に決めます。
無論、一度は「絶望」を味わった身です。
それまでだって相当な覚悟を持って"修行"に取り組んでいたつもりではありました。
ですが、それでもまだ細部に"甘さ"や"隙"があるのかもしれなかった。
シンプルに表現するのであれば、集中力を極限まで高め切る必要性を感じていたのです。
決して大袈裟ではなく、この時心に決めた覚悟は所謂"決死の覚悟"というやつだったのかもしれません。
「もうこれで"最後"。それくらいの気持ちで瞑想に入ってみよう(`・ω・´)」
"悟らない限り、二度と現実には戻って来ない"
かつてない程の強い意志を持って、僕はその晩「瞑想」に入りました。
"決死の覚悟"とは一見"強過ぎる想い"のように見えてしまい、むしろ目覚めを妨げるように思われるかもしれません。
しかし真に"決死の覚悟"を持つと
「感情」は極めてクールに…身体中の「感覚」はこれ以上無い程に研ぎ澄まされるものなのだ
ということを、この時始めて知りました。
そして結果的に…
その"決死の覚悟"は、"究極のリラックス状態"へと達するための一番のキーポイントとなったのでした…!!!!
………
……
…
夜明け前でした。
遂に"その時"が訪れます。
「瞑想」の深さがかつてない領域まで達したその刹那、それまで自他を隔てていた"境界線"が無くなり、世界と自分が一つになったような「感覚」に陥りました。
そして次の瞬間…
紛れもなくこれまで一度も感じたことのなかった"不思議で強烈なエネルギー"が"心臓=ハート"から溢れ出してきたのです…!!!!
(つづく)
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