魂遊記〜僕と守護霊の痛快通心活劇〜

僕は孫悟空。守護霊である筋斗雲さんと一緒に日々活々と修行中。七転八起の宇宙旅。天竺めざして今日もゆく。

善と悪【番外編 File.14】

※はじめての方は【目次】をご覧下さい。 

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真理的に見れば、本来は「善」も「悪」も存在しません。

 

ですが、僕たちは生まれてからずっと

 

〜するのは善いことだ

〜するのは悪いことだ

 

といった「善悪観念」を両親や社会から植え付けられながら生きていきます。

 

そしてなるべく"善いこと"をして、なるべく"悪いこと"をしないように、日々の生活を送るようになっていくのです。

 

しかし、それらは大抵"中身が空っぽの表面的な形式"であり本質的なものではありません。

 

にも関わらず、誰しもがその"ルール"や"常識"に縛られながら、それを守ろうと必死になってしまいます。

 

そして自分が必死にそれを守っている手前、その"ルール"や"常識"から逸脱する者がいる場合には断じて許すわけにはいかず、そこへ怒りを向けてしまうのです。

 

現在でも多くの人々がそんな風に他人を縛り、なにより自分自身を縛り付けながら窮屈に生きています。

 

そんな"しがらみ"から抜け出して心を解き放つためには、「瞑想」や各種ワークなどを通してこれらの「概念」やそこに纏(まと)わり付いてしまった「想念」を浄化する必要があります。

 

いざ、それらを手放してみると…

 

自分がこれまで本質ではなく形式に縛られていたことや、例え本心とは違った場合であっても我慢と無理を重ねながら"善いこと"を行おうとしながら生きてきたことに気が付きます。

 

囚われていた心が別物のように軽くなります。

 

この宇宙には本来、「善」も「悪」も存在していないことを体感的に理解出来るのです。

 

一方で、何故僕たちがわざわざそんな「善と悪」の存在するこの世に生まれて来たのかを忘れてはいけません。

 

実は、この世には上記のような"形式的なもの"ではなく…

 

"本質的な「善」と「悪」"も同時に存在しています。

 

言わば僕たちはこの「善と悪」を通じて"大切なこと"を学ぶために、この世に生まれて来たとも言えるのです。

 

〜するのが善いことだから…

 

するというわけでもなく。

 

〜するのが悪いことだから…

 

しないというわけでもない。

 

"自らの心がそれを望むから"善いことをして、それを望まないから悪いことはしない、という境地が在ります。

 

その境地に至ることが出来れば、全て自らの魂が自発的に行うことですので、他人がどうしているのかは一切関係がありません。

 

他人がそれをやらないからといって、その人々に対して怒りを抱くことなど無いのです。

 

そして本質的な"善業"を積み重ねていく事で、魂は磨かれ、成長していくことが出来ます。

 

本来は存在していない「善と悪」を用いて魂を磨くことはこの世の常であり、一番の特性でもあります

 

まずは己が縛られてしまっている「観念」や「想念」から解き放たれ、本来は"善悪"など存在していないことを知る。

 

そして、その上で改めて本質的な「善と悪」を通し、魂を磨き上げていくことに、人生の本来の意義が在るのです。

 

"「善悪観念」に縛られる"わけでもなく…

 

"「善と悪」なんて本当は存在しないんだから何をやってもいいんだ!"と惚(ほう)けるわけでもなく…

 

この世に生を受けた一つの魂、一人の人間として。

 

「善と悪」の本質を見極めながら、日々活き活きと魂を育んで行きましょう♪

 

★今回は珍しく"真面目テイスト"でお届けしてみました⁦‪(๑´ڡ`๑)テヘッ

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