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真理的に見れば、本来は「善」も「悪」も存在しません。
ですが、僕たちは生まれてからずっと
〜するのは善いことだ
〜するのは悪いことだ
といった「善悪観念」を両親や社会から植え付けられながら生きていきます。
そしてなるべく"善いこと"をして、なるべく"悪いこと"をしないように、日々の生活を送るようになっていくのです。
しかし、それらは大抵"中身が空っぽの表面的な形式"であり本質的なものではありません。
にも関わらず、誰しもがその"ルール"や"常識"に縛られながら、それを守ろうと必死になってしまいます。
そして自分が必死にそれを守っている手前、その"ルール"や"常識"から逸脱する者がいる場合には断じて許すわけにはいかず、そこへ怒りを向けてしまうのです。
現在でも多くの人々がそんな風に他人を縛り、なにより自分自身を縛り付けながら窮屈に生きています。
そんな"しがらみ"から抜け出して心を解き放つためには、「瞑想」や各種ワークなどを通してこれらの「概念」やそこに纏(まと)わり付いてしまった「想念」を浄化する必要があります。
いざ、それらを手放してみると…
自分がこれまで本質ではなく形式に縛られていたことや、例え本心とは違った場合であっても我慢と無理を重ねながら"善いこと"を行おうとしながら生きてきたことに気が付きます。
囚われていた心が別物のように軽くなります。
この宇宙には本来、「善」も「悪」も存在していないことを体感的に理解出来るのです。
一方で、何故僕たちがわざわざそんな「善と悪」の存在するこの世に生まれて来たのかを忘れてはいけません。
実は、この世には上記のような"形式的なもの"ではなく…
"本質的な「善」と「悪」"も同時に存在しています。
言わば僕たちはこの「善と悪」を通じて"大切なこと"を学ぶために、この世に生まれて来たとも言えるのです。
〜するのが善いことだから…
するというわけでもなく。
〜するのが悪いことだから…
しないというわけでもない。
"自らの心がそれを望むから"善いことをして、それを望まないから悪いことはしない、という境地が在ります。
その境地に至ることが出来れば、全て自らの魂が自発的に行うことですので、他人がどうしているのかは一切関係がありません。
他人がそれをやらないからといって、その人々に対して怒りを抱くことなど無いのです。
そして本質的な"善業"を積み重ねていく事で、魂は磨かれ、成長していくことが出来ます。
本来は存在していない「善と悪」を用いて魂を磨くことはこの世の常であり、一番の特性でもあります。
まずは己が縛られてしまっている「観念」や「想念」から解き放たれ、本来は"善悪"など存在していないことを知る。
そして、その上で改めて本質的な「善と悪」を通し、魂を磨き上げていくことに、人生の本来の意義が在るのです。
"「善悪観念」に縛られる"わけでもなく…
"「善と悪」なんて本当は存在しないんだから何をやってもいいんだ!"と惚(ほう)けるわけでもなく…
この世に生を受けた一つの魂、一人の人間として。
「善と悪」の本質を見極めながら、日々活き活きと魂を育んで行きましょう♪
★今回は珍しく"真面目テイスト"でお届けしてみました(๑´ڡ`๑)テヘッ
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