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僕は小さい頃、家族とは心と心が繋がっているものだと本気で信じていました。
特に両親に関しては僕の心の中を全て見透かしていて、その上でコミュニケーションや教育を行なっていると当然のように思っていたのです。
勿論幼い子供でしたから沢山反発もしましたが、根底に"親が言うことの方が正しい"という「固定概念」は強く根付いていたので、いつも心の奥底では"悪いのは自分なんだ"と思っていた記憶があります。
成長するに連れて次第に僕自身の「自我」も強くなっていき、親との衝突も増え、最後まで納得がいかないということも多々ありましたが、依然として"本当は解り合えるはずなんだ"といった思いは捨てきれていませんでした。
しかし、20歳を過ぎた頃でしょうか。
普段にも増して激しい喧嘩を母親とした際に、これまでの積年の思いが一気に爆発し、自分の中で"なにか"が崩れ落ちたことがありました。
その時に
「あっ…この人は本当の本当に僕のことを理解しているわけではないんだ…。家族だからって解り合えるわけではないんだ…。」
という現実を初めて受け入れたことを、今でも鮮明に覚えています。
自覚しているかしていないかは別として。
生まれて間もない頃というのは、誰しもが"本来、人の心は通じ合える"という真理を知っているような気がします。
だから少なくとも最初の最初は親、引いては家族に対して曇りひとつない100%の信頼を捧げるのではないでしょうか。
しかし僕たちはこの世に"学びに"やって来ている身です。
そのため「自我」を持ち、真理を忘れ、孤立した存在として生きていきます。
その状態では当然他人と理解し合うことは難しく、時が経てば経つほど徐々に"現実"に呑み込まれていき、遂には心を閉ざしてしまう人も少なくはありません。
心の奥底では"本当は解り合える"という真理を抱え続けているからこそ、そうなれないことに対して怒りや嘆き、悲しみや寂しさを感じるのだとすると、なんだか辻褄が合うような気がしませんか。
なぜ理解し合えないのか、どうすれば理解し合えるのか。
他人とのすれ違いを通じて、僕たちはこの世で多くのことを学ぶことになっています。
詰まるところ。
「家族」とはこの世においては映画やドラマにおける「役柄」のようなものです。
その「役柄」を通して、お互いの魂を磨き、学び合うために強い縁でむずばれた「他人」。
そのため"いつも仲良し"で"完璧に理解し合える間柄"では学べることはごくごく僅かになってしまいます。
家族関係で悩む方は大変多くいらっしゃるかと思いますが、それはある意味では当然のことと言えるのかもしれません。
「家族なのに、こんなに大好きなのに、解り合えない」
その強烈なジレンマの中にこそ、僕たちが"この世において学ぶべき大きな課題"のひとつが存在します。
魂レベルで見れば「他人」にも関わらず、強い縁で結ばれ、この世においては唯一無二の存在である「家族」。
僕は2012年に「家族」という「概念」を超越し、真の意味での"自立"を果たした時…
これまで「家族」に対して抱いていた"理解して欲しいという期待"、"理解してくれなかった恨み"が綺麗サッパリ無くなりました。
シンプルに、「家族」が「他人」であることを受け入れたのです。
ですがそれは、決して悪い意味ではありません。
例え自分の気持ちを理解してもらえなくても、例え解り合えないとしても…
例え「他人」であっても。
そんなことは一切関係無しに…
"僕は「家族」の皆を心の底から愛している"
その気持ちを素直に受け入れたのです。
………
……
…
「家族」とは愛すべき"魂の勉強仲間"。
この世における「家族」という「役柄」を通じて互いに何を学び、どう魂を育んで行くのか。
そういった視点で「家族」という存在を見つめてみることで、"あなた"が何故その一員としてこの世に生まれて来たのかが見えてくるかもしれません(*´ー`*)
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