<前回からのつづきです>
守護霊『軸は"助けられる側"にあって、鍵は"助ける側"が握っている。
要するに…
その状況で"信頼関係"を維持出来るのか、はたまた"依存関係"に下位互換されてしまうのかは、"助ける側"の度量にかかっているのだ…( ̄Д ̄)ノ』
僕「…!!!!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ」
………
……
…
守護霊『"助けられる側"が"助ける側"に反発してしまう、というのはよくあることだ。
それの極論こそ前回のシリーズの中で話をした
"未熟な者ほど神様に逆らいたくなる"ということでもあるのだからな。( ̄ー ̄)』
僕「あ、そこも通じているわけだね(・∀・)」
守護霊『無論この状態を"表面的"に捉えれば、"助けられる側"が"助ける側"に対して"依存"しているように見えるだろう。
しかし、だ( ̄ー ̄)』
僕「"本質"は違う…!!??Σ('◉⌓◉’)」
守護霊『うむ。
言っただろう?
結局"信頼"と"依存"のボーダーラインが決まるにあたって肝心なのは"魂磨き"が出来ているかどうかなのだ( ̄Д ̄)ノ
"親子"、"教師と生徒"、"監督やコーチと選手"etc...
"助ける側"にとって、例えば"助けられる側"からの反発を受け、それを乗り越えて指導や教育をしていくことが己の成長に繋がる場合だって往々にあるわけだ。
"助けられる側"にとっても同様で、その反発を通して結果的に己の未熟さを痛感し、後々の成長に繋がる場合だって考えられるだろう??( ̄ー ̄)』
僕「確かに…!!!!(=゚ω゚)ノ」
守護霊『要するに"本質"の部分が"お互いの成長=お互いの魂磨き"に繋がっているのであれば、それは全て"依存"ではなく"信頼"の元で行われている"お互い様"の関係値と言えるわけ( ̄ー ̄)
そしてその"鍵"を握るのがさっきから言っているように"助ける側"の度量だ。
本来"助ける側"であるにも関わらず"助けられる側"に対して過保護になってしまったり、そろそろ"今度は自分のことも助けてほしい"といった"依存"状態に陥ってしまえば、どんな人間関係であろうとも、健全とは言えないものになってしまうだろう。
この様に"助ける側"の度量="助ける側"がどれだけ精神的に"自立"出来ているのかで、双方の関係値は"信頼"にも"依存"にもなり得てしまうわけだ( ̄Д ̄)ノ』
僕「なるほど、これに関しても深く納得です…(=゚ω゚)ノ
あ、でもさ!
仮に"助ける側"が自立出来ていたとしても、"助けられる側"が一方的に強い依存心を抱き続けてしまうケースだってあるわけじゃない??
この場合"助ける側"はどう在るのが良いのかなぁ??Σ( ̄。 ̄ノ)ノ」
守護霊『アホか、これに関してはお前も身を以て知っているハズだがな( ̄Д ̄)ノ』
僕「あ、やっぱり"アレ"しかないのネ…!?( ̄▽ ̄)苦笑」
守護霊『当然だ。
"助けられる側"が、本来自立可能な状態にも関わらず"助ける側"に対して一方的に強く"依存"し続けてしまう場合…
つまり、それが"魂磨きに繋がらなっていない状態"なのであれば、"助ける側"が採るべきアクションは一つしかない。
ズバリ"突き放す"だ( ̄Д ̄)ノ』
僕「で、ですよねぇ…( ̄▽ ̄;)」
(つづく)
★次回、なぜ"突き放す"のがベストなのか…!?
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